秋葉原の過去を巡る探検
昨日の12日土曜日、ARTS FIELD TOKYOで開催されたまち歩きワークショップ『見えないアキハバラを歩く』に参加いたしました。
秋葉原は今のサブカル系の街になる前、純粋に電気街だった頃の方が自分の記憶では長いし、その頃に駅の窓から見えていた裏の空き地(市場跡?)とか色々気になってたことがあった。でも気づいたら(実家からは総武線に乗ることも多かったけれど、家を出て東西線沿線になってしまった、そしてしばらく東京も離れた)、現在の状態。
昔からの変遷とか興味があったのです。
さて、昼過ぎに会場の3331 Arts Chiyodaに到着。
あっ、『大友克洋GENGA展』って見に行った方の感想とか色々聞いて、開催しているのは知っていたのだが、ここでだったのか?
あまりにも迂闊(笑)
それはそれとして、B1の教室にてレクチャーからスタートです。
講師は江戸東京のまちづくりの歴史を研究している小藤田正夫さん。
これは、神田明神の氏子崇敬城町割りの地図。このお話はとても面白かった。
地図内に白い部分は同じ地域内なのに氏神様は別とか。
町ごとどこかから移転してきたり、移転して行ったり。でもその町の氏神様は変わらない。
だから、神田明神の近くに住んでいても、氏神様は移転前の遠くだったり、移転した先から神田のお祭りに来たりってことがあるらしいです。
ちなみに私は江戸で言えば深川と言われる地域の生まれ。
氏神様は深川八幡宮にあたる地域で、神田明神とは隣接する地域。
地図の右の川が隅田川で、右下の橋が清洲橋。その川向こうが深川なのだけど、地図で橋がある左下の白い部分は深川八幡の氏子に当るのです。だから本祭りのお神輿(氏子となっている地域を練り歩く)は清洲橋を渡るのですが、渡ったすぐは氏子さんの地域ではないのだ。お神輿はそのあと左へ曲がって進む。その向こうは神田明神の地域だったのか。
深川に関しても、詳しい変遷とか知りたくなりました。
他にも、江戸の街づくりとか、秋葉原の誕生(実際には秋葉原という地名はなかった)とか、色々興味深いお話満載です。
さてさて、あっという間のレクチャーの後は、実際に街を歩きます。3331前の公園に準備して集合!

秋葉原の街中、大通りから路地へ、進んで行きます。ゾロゾロゾロゾロ・・・(笑)

さてっ、この路地は!

この奥に、知る人ぞ知る、花房神社が有りました。
出てきたとこの路地は、こんなに狭いのだよー(笑)
子供の頃、こんな路地を歩き回って遊んだよな。
そのビルの前の角のところ。江戸時代には広場になっていて、情報屋が座っていた。
秋葉原のホームは二段構造。奥に高い方のホーム部分がちょっと見えてます。
これは創業当時からで、総武線のホームの位置はかなり高い。昔は荷揚げは吊り上げて、荷下ろしは滑り台があったとか。

昔は市場だった。
昔のお店が並ぶ街は東西に伸びる道なら南側、間口は北側で日が入らないように。南北の道沿いなら西側、西日が入らないように。商品に日が当らないのが基本。
神保町とか浅草の仏壇のお店とか、そうした話は昔にも誰かから聞いたことがあった。
ヨドバシカメラは典型的な、それを踏襲したお店。
この辺り、過去に何度も大火の原因となっており、明治初期に焼け跡が火除地となった。そして鎮火の社が出来たのが遠州秋葉山の神を勧請したと勘違いされ(実際には違った)、「あきはのはら:アキハハラ」と呼ばれたのが、「アキハバラ」の名前の由来。
でもそれは実際の地名ではないので、火除地だったここの住所は、その後に神田花岡町に戻った。
ヨドバシが出来た時、実際に住所をまた秋葉原に戻せないかって話が有ったらしい。しかし、実際に現在も秋葉原という地名はあるが、それは台東区の部分。ヨドバシがある神田花岡町は千代田区で、秋葉原の住所には結局出来なかった。なのでヨドバシマルチメディアAKIBAの住所は秋葉原ではないわけです。

昔は堀があった部分。向こうから写真を撮っているのは、今回のこのワークショップを取材されてる方です。

橋の名残です。
そして、秋葉原のディープな部分に入っていく。ラジオデパート。
そして、粋な黒塀のお店。
写真でも分かる通り、秋葉原のかなりディープなゾーンに唐突に有ります。
うーん、営業中に来てみたい!
お店から通りに出ると、こんな感じです。うーん、現代の秋葉原だ。
総武線の高架。左手正面に橋があり、高架は河を斜めに渡ります。
これは珍しいらしい。鉄橋の距離が長くなるし…ということらしい。なるほど。

昔、伊勢丹があった場所。昔、ここに伊勢丹発祥の地の碑があったはずなのに・・・・・・、なくなっていた。
講師の小藤田さんも知らなかったようで、びっくりしておりました。

そうやってぞろぞろぐるっと廻って、そろそろ終着の神田明神です。
神田明神はお祭り中。今年は裏祭りなので、お神輿は出ないとのこと。
敷地内には銭形平次の碑やお稲荷さんとか、色々あります。お稲荷さんは鰹節類卸商の物。ふきこが参りたいに違いない(笑)
立派なお神輿。小藤田さんの知り合いが、本祭りは昔の災害訓練的なものなのでは、と仰ってたとのこと。地域の人々が結束し、ことに当る。女性は炊き出しを準備し・・・。
関東大震災からの話も少し伺った。
やはり、深川はどうったのだろうかとかいろいろ考えてしまうのだった。
しっかりしてて美しい、木造建築です。
さて、ここら辺で予定時刻も大幅に過ぎ、実際は到着した神田明神でも色々お話を伺ってたのですが、解散となりました。
解散後、神田明神の境内をぶらぶら。
お祭りに伴い、地方からの野菜の直送販売なども行われておりました。
おお、坂東市だ!
母親と父方の祖母の出身が茨城県坂東市なのである。ちょっとご挨拶。
母と祖母の実家の鵠戸(クグイド)産のセルリーを勧められましたが、それでかいよー。猿島のトマト(Twitterで鹿島と書きましたが、パッケージみたらさしまでした。猿島だな)を頂きました。
他、石巻の鯨缶を買ったりしました。
さて、またまたぶらぶら。
これは先ほど書いた、川を斜めに渡る、総武線の高架。
右側の川沿いの家々、昔から変わらない。
左岸にはお洒落な高架下建築。テラス席、良いねぇ。夏は蚊が出そうなので、今ぐらいが良いかもです。
表側はこう。
寄りたかったけれど、他にも行かねばならない場所があったのでこの日は諦めたのでした。
でも、秋葉原探検、楽しかったです!
さてさて、おまけ。
風姫は普段はのんびりしてるか、寝てる写真しか撮らしてくれないのですが。
昨日も2Fのベッドルームに行ったら、すごくだら~っと寝てた。
それはそれで可愛いのでカメラを持ってきて構えていると・・・・・・、なんか外で音がしたのだよね。途端に起きて、キリッと外の方向を見た!それをパシャリ。
ちょっと普段よりキリッとした顔かもです。
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